【札幌 弁護士コラム】契約書を作ることは喜びである:仕事の楽しさをどこに見いだすか
今日は朝から事務所でたまった
仕事をこなしていました。
毎年の事ですが、1月の1週目は、
顧問先様の挨拶まわりで終わることが多く、
だいたいこのような感じで2週目に
作業が積み残しになってしまいます。
ただ、それはそれで風物詩ということで
楽しんでやっております。
先日、経営者の集まりにおいて
いかに従業員をモチベートするか
という議論になりました。
それぞれいろんな意見が出たのですが、
私が思ったのは、
そもそも仕事をしたくて会社に
入ったはずであるのに、
なぜ経営者が従業員をモチベート
しなければならないのか、
という疑問でした。
もちろん、仕事をするのは苦痛であり、
生活費を稼ぐためだけにやっている、
という人も少なくないことと思います。
まさしく、欧米の労働観というのは、
「labor」
すなわち、
「苦役」
ということから端を発しています。
それを前提とするならば、
経営者が一生懸命になって
従業員の尻を叩き、
褒めそやして、
何とか仕事をさせよう、
という姿も頷けなくはありません。
しかし、本来的に仕事というのは
そういうものなのでしょうか。
欧米の労働観に対し、日本の労働観
というのは、
「はたを楽にする」
という意味を転じて
「働く」
という言葉ができたと聞いています。
そうであるならば、本来的に
仕事は楽しいものである
という考え方もできるわけです。
働き方改革華やかなりしご時世と
なりましたが、どうも働く事は悪だ、
といった感覚が蔓延しつつ
あるように思います。
こと残業時間についても、
長時間残業させることは悪である、
ということが定着しています。
しかし、36(サブロク)協定の
範囲内であれば、会社が従業員を
働かせることは何の問題もありません。
また、過労死や過労による傷病の
問題についても、時間だけが
取りざたされていますが、
会社でパソコン作業を10時間やるのが
苦痛で仕方がないという人でも、
休みの日にはスマホでゲームを
平気で10時間以上はやっていたり
するわけです。
そう考えてみると、1つの作業を
やり続けることだけが過労につながり、
病気を発症させる、といった
短絡的なものでないことは明らかです。
さかのぼって、
「私がなぜ弁護士業を続けているか」
ということになってくると、
本来的にある程度適性があり、
ある程度はそこに喜びを見出せる
からということになります。
さらにいうなれば、私は契約書を
作っている時、どこかパズル的な
感覚で楽しんで作っている
ように思うところがあります。
このように仕事に本来的な喜びを
見いだせる部分があるから、
というのがもっともな答えのように
思います。
こういったものも、1つの物の見方、
考え方なのかもしれませんが、
自らの仕事を楽しく解釈することにより、
ストレスを減らし、
精神的な負担を減らし、
ひいては仕事を楽しめるように
なってくるのではないでしょうか。
プロジェクトXに出てくるような、
仕事のためなら余暇も、家族も、
しまいには命すらも犠牲にする覚悟を
持っていた人のいたような
一昔前だとこういったことが
当たり前だったように思いますが、
令和の時代にはあえて仕事の楽しさを
指摘しなければ理解されないような時代に
なってしまったのかもしれません。
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