【札幌 弁護士コラム】「名月を とってくれろと 泣く子かな」の句に見る専門家の使い方
9月です。名月の季節ですね。
そこで思い出されるのがこの句です。
「名月を とってくれろと 泣く子かな」
これは皆さんご存知の小林一茶の名句として知られています。
子供に恵まれなかった一茶の思いを表した句ともいわれていますが、素直に読むならば、子供の無邪気さを詠んだ句と解するのが普通でしょう。
しかし、これが大人が主体となっているとしたらどうでしょうか。
「名月を とってくれろと 泣くオヤジかな」
何の風情もありません(笑)。
しかし、現実世界でこのようなことは少なからず起こっているのではないでしょうか。
すなわち、「月をとる」ということは原始的に不可能であるにもかかわらず、それが実現しないことに不平不満をいうという現象が起こっているということです。
これが「月をとる」というレベルにまで至っていればわかりやすいのですが、「何とかなりそうに見えるけれども、実際にはうまく行かない」といったレベルの事象について発生するとことはやっかいです。
ある程度の知見があれば不平不満を述べても無駄である、という領域と、素人的に見ると何とかなる、という領域とが重なっているときには起こりがちな問題です。
このような事態に陥ってしまったとき、一番損をするのは月もとれず、ただただ恥ずかしい思いをするオヤジ(笑)なのです。
このような事態を回避するためには、やはり専門家の使い方を理解しておく必要があります。
どのような場合に専門家に意見を求めるべきか、どのような基準で専門家の説明を判断するべきか、どのような部分に専門家の限界があるか、このあたりのことを理解しておくとまずは事を過つことはありません。
月をとってくれる専門家はいないかも知れませんが、正しい専門家の使い方を知ることで、無意味に不平不満を感じることが減る、ということは知っておいてもよいのではないでしょうか。