【札幌 弁護士コラム】初対面の司法修習生に語りすぎて気付いた、意思決定基準を語るということ

今日は、1月から札幌に司法修習で

こられた、司法修習性のTさんと

ランチをご一緒しました。

Tさんは飛び級でロースクールに

入学されたという素晴らしく成績の

良い方で、すでに法律事務所に

内定もお持ちというピカピカの

経歴の方です。

経歴に負けず劣らず思索が深く、

思わず私の話したい事をとめどなく

喋ってしまいました。

(ひとりでしゃべり倒してしまいまして

すみませんでした…。)

 

今日のように、少しやりすぎてしまう

こともあるのですが、私(荒木)は自らの

体験や経験、考えていることや目標、

具体的な政策について人に語れること

というのは非常に重要ではないかと

考えています。

それというのも、語るということは、

何らかの意思決定基準を持っている、

ということの裏返しであるからです。

 

意思決定基準とは、自らが直面した

場面において、いかに行動するか

という基準をいいます。

この意思決定基準によって行動が

規律され、行動によって結果が

生み出される以上、意思決定基準の

優劣というのは非常に大きな

意味を持ちます。

 

そして、意思決定基準が存在しない

場面というのがある場合、人は惰性で

あったり、人に合わせたり、

何気ない習慣に従ってしまったり

するなど、意思決定の空隙とでも

いうものが生じます。

この空隙が生じた時こそ、問題の

発生原因が多く含まれているのでは

ないかと考えられます。

 

例えば、私が取り扱っている

法律問題で言えば、

 

「契約書は無いんだけれども、

業界慣行でお金を払ってくれるもの

だと思って商品を納入した。」

 

であったり、

 

「従業員との関係では、

残業代請求をしないという

暗黙の了解があって残業

させていた。」

 

であったり、

 

「元請けから早くやれと

言われたので、どの範囲かも確

認せずに作業を進めた。」

 

といったようなことが

頻繁に起こっています。

 

もちろん、全部が全部法律問題に

発展するわけではありませんが、

このように明確な意思決定基準なく

行動することにより、法律問題に

発展することが多々起こっています。

 

その意味でいうとすれば、

経営者であれば、自らの会社の

意思決定基準について細大もらさず

くまなく語れることが理想的

でしょうし、少なくとも問題に

発展し得る部分について語ることが

できないとすれば、バグがつぶし

きれていないと言わざるを得ない

状況です。

 

しかし、少し難しいのは、語る機会を

設けるということです。

どの業種でもそうだと思いますが、

一定程度業務のルーティンが

できてしまえば、あえて新しいことを

やる必要がなくなり、あえて新しい人に

会うようなこともなくなるのが

通常です。

しかしその状況が続くとすれば、

業務も陳腐化しますが意思決定基準も

陳腐化します。

上記の表現で言えば、意思決定基準の

空隙がどんどん多くなってくるわけです。

 

この対策としては、新しい人

(=自らの意思決定基準について未知の人)

に対し自らの意思決定基準を語る

ということを意識的に行うことが

挙げられます。

新しい人に対しては、自らの

置かれている状況を説明しなければ

なりませんし、自ら目指すところを

説明しなければなりませんし、

そのためにはどのようなプロセスを

経るのかを説明しなければなりませんし、

その過程において自らがどの程度

意思決定基準を持っているかを

説明しなければなりません。

このことを実践するとすれば、

相当な分量の言語を要するのであり、

語る、ということが必要になるわけです。

 

この、語る、ということに対して

苦手意識がある人もいらっしゃいます。

しかし、この苦手意識がの根本が

何かというと、単に口下手かどうか

という問題ではなく、本来的には

意思決定基準を意識していたか

どうかということに尽きる

のではないでしょうか。

 

自らを語る、ということが

できないのであれば、まずは自らの

意思決定基準についてもう一度

見直してみる必要があるかもしれません。