【札幌 弁護士コラム】クレームは現場で起こっていない、処理の過程で起こっている、という発想

先日、どう考えても相手に落ち度のある件で、取引先の会社にクレームを入れました。

ものすごく大きい問題とはいえないものではありましたが、私(荒木)から改善を求めるように止めたにもかかわらず、延々と6か月にもわたってそれを放置されていたということに大きな問題を感じました。

この問題の関係では、継続的な契約になっているため、途中で解約するかどうかを考えていたところ、全く相手から音沙汰がなかったため問題の解決が図れなかったという事情があります。

 

それで昨日、この会社の担当者を私の事務所に読んで問題の説明をしてもらうこととなりました。

しかし、ここで驚いたのは、この担当者が述べる事は、自社の事情ばかりを述べることに終始し、私の認識している問題や、私の感情に対し一切触れようとしてこなかったことです。

私は、当初の問題自体よりも、このような配慮のなさ、認識の浅さにつき、不信感を強く募らせていきました。

結局のところ、こちらから和解案を持ちかけ、それを持って帰って検討もらうことにしました。

つまるところ、この担当者は何ら自ら問題解決をしたものではなく、結局は、こちらがすべてをハンドリングして問題解決までの筋道を作らなければならなかった、ということになります。

 

日頃、クレームを受けた会社の対応についてのアドバイスをすることも多くありますが、今回のケースでは、私が体を入れ替えてクレームを述べる立場を体験したということになります。

クレームの内容についてここでとやかくいうわけではありませんが、クレーム一般の構造の理解として1つの勉強にはなったように思います。

 

体験して分かったことは、クレームの実態というのは、商品やサービスそれ自体の問題よりも、問題が発生したときにいかに相手のことを慮っているかという点に尽きるということです。

今回の私の件では、私が第一報を入れたときにすぐに対応を示され、一定の和解案を提示されるなどすればお互いにコストをかけず、円満な解決が簡単に別れたはずです。

それをズルズルと放置し、音沙汰のないままやりすごそうとした挙句、相手に対する配慮を欠いた対応を行ったことが問題を広げているということに他なりません。

 

これは1つの例に過ぎませんが、クレームというのはすべからくこのような側面があるものです。

商品やサービスを提供する立場としては、常にクレームに備えておく必要があるかと思いますが、まずは有事の際、いかなる意識・観点で事に対処するか、ということを定めておくべきではないでしょうか。