【札幌 弁護士コラム】高齢者向けビジネスの金銭感覚に対する違和感:見回りサービスと家族信託の価格の違い

ブログの間隔がだいぶ空いてしまいました汗。

 

先日、何となく読んでいた新聞の夕刊に、日本郵便が始めた高齢者の見回りサービスのことが書かれていました。

その記事では、このサービスがどのような内容か記載されていませんでしたので、サービス内容がよくわからないという前提で書き進めていきますが、この記事ではサービスが高すぎるという論調で書かれていました。

すなわち、日本郵便は月額2500円で高齢者の安否確認を行い、その結果を家族にメールを送るサービスを始めたが、高額に過ぎるため、利用者が伸びていないという趣旨が述べられていました。

一方で、同様のサービスはボランティアもやっている、ということも書かれていました。

 

私(荒木)はこの記事に強い違和感を覚えました。

 

まず月額2500円が高いか安いかというのは個人差があると思いますが、例えば1日、普通の生活をすればこの程度の金額は当たり前にかかりますし、洋服1枚が買えるかどうかも怪しいくらいの金額であり、少なくとも1日あたり100円もかかっていない程度の値段なのです。

そもそも値段が高いか安いか、というのは提供される価値との見合いで決まるべきものです。

サービス内容がわからない前提で話を進めるのは語弊も生じうるところですが、このサービスの趣旨というのは「高齢者の安全を確認し、家族に安心感を与える」というもののように思います。

これは、代替のしようのない家族の安全を守り、それがわかることでの安心という感情を与える、といった価値を提供するものであり、決して低い価値のものではないと考えられます。

このような価値を現実に提供しているのであれば、月額2500円が高いと断定できるものなのでしょうか。

 

また、ボランティアと比べて議論を行っているところも違和感の原因です。

そもそも、ボランティアと比べて安いサービスなど存在しえないわけですので、議論の前提がおかしいのですが、なぜボランティアと比べようという発想が出てきたのでしょうか。

色々と理由は考えられるのでしょうが、「高齢者は家族が面倒を看るもの」「家族が家族の世話をするのは無償が当然」という発想が根底にあるのではないでしょうか。

しかし、少し考えてみればわかるのですが、「高齢者は家族が面倒を看るもの」という発想はこの少子高齢化のご時世では成り立たないものですし、「家族が家族の世話をするのは無償が当然」という発想は「家制度」があった時代の遺物でしかなく、民法(相続法)の中でも介護に係る金銭的評価が法制度化されたように全く古びた考え方でしかありません。

加えて述べるとすれば、この高齢化社会において、高齢者の数に見合ったボランティアをどうやって生み出せるのか疑問でなりませんし、そのボランティアをやっている人がどうやって生計を立てて行けるのか皆目見当がつきません。

 

とまぁ、この記事の批判ばかりをしていても仕方ないのですが、私の取り組んでいる家族信託を例に出すと、高齢の方に適正な支出をして頂くことは社会経済的に必要なことですし、それが高齢の方に不幸をもたらすものではないことを理解しておく必要があります。

家族信託は、高齢の方が自らの財産を家族に託し、認知症になった場合でも財産を動かせるようにしておくことができる仕組みであるとともに、亡くなった時には遺言と同様に財産の分配を決めておくことができるものです。

ぶっちゃけて申しますと、自宅と預貯金に関して家族信託の設定を行うと50万円以上はかかるのですが、設定して頂いた方は一様に満足して下さいますし、これまで一度も不満を述べられたことはありません。

それというのも(全員が全員でないことは十分に承知していますが)、ある程度の会社や官公庁で定年まで勤めあげた方は、自宅をお持ちで預貯金が1000万円以上ある方もザラで、50万円という金額は決して高額であるという認識ではない、というのが一因にあるように思います。

その上で、家族信託の効用やその必要性をご理解頂いているのであれば、何もしていなかったときに相続トラブルに発展するリスクや、認知症になって財産が塩漬けになってしまうリスクを考慮して、50万円という金額に不満をお持ちになるということもありません。

 

このように十分な価値提供と理解を得る努力を行っていれば、見た目上の額面が高額であったとしても、それが十分合理的な金額となるのであり、支払う側から見ても不満が出るものではありません。

ビジネスを提供する側もビジネスの提供を受ける側も、金銭感覚の本質に思いを致すことは重要なのではないでしょうか。