【札幌 弁護士コラム】「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね。」:約束を反故にされたときの人間の信条とは

待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね

 

 

ビジネスにおいてもそうですし、プライベートにおいてもそうですが、人に約束を反故にされるということはある意味避けては通れないことなのかもしれません。

 

そのように人との約束を法律的に保護させるために契約がありますし、法律上のサンクションを与えることも可能です。

 

しかし、すべてのケースが法律的に解決に向いているものとはいえません。

 

法律的な保護に値しない部分に関してはどうしても道徳、モラル、倫理といった部分によらざるをえません。

 

そういった意味において、人が約束守らない原因について思いを致す必要があるのではないかと思います。

 

もちろん不可抗力によって約束を実現できないことや、もともと不確定な約束であって条件が成就しなかった、といったようなことはあり得ます。

 

しかし、自分の力でなんとかできたのに、その努力を怠ったり、故意的にやらなかったりする人も多く存在します。

 

その場合、当然、約束を破られた側は相手に対して悪感情を持つことになります。

 

しかし、それ以上に約束を破った側の方がどのような想念に至るか、ということを考えてみることにも意味があります。

 

これは自らに利するために約束を破ることでいかに自分が傷つくか、ということも分かりますし、一方で約束を破られた側に立ったとき相手が苦しい感情を持っていることを察することもできます。

 

そのように両面からの心情を理解することができたならば、一定程度、心理的な合理化が図る部分が生じるように思われます。

 

この意味において、待たせる身が辛いか、待つ身が辛いか、というのは人間の心理の本質を着いた格言なのではないでしょうか。