【札幌 弁護士コラム】大量の時間を使うことが実は充足感を生むという話

先日お伝えさせていただきましたが、上場会社の監査役に就任し、今後任期4年にわたって活動を続けて参ります。

 

しかし、私の仕事はこの一部分にとどまらず、顧問先数十社、複雑な訴訟に加え、新規のファイナンス事業に関するアドバイスなども行っています。

 

その一方で交通事故離婚債務整理などの一般民事業務を行い、別途相続コンサルティングの会社を運営するとともに、その中心的業務として家族信託業務に取り組んでおります。

 

更にこれらに加え、新たな事業部門として在留資格許可申請事業労務管理事業に置いて今年中に北海道一を目指すという目標を掲げています。

 

それでいて毎月2、3回は道外のセミナーに行っていますし、滝行も毎月ありますし、ほぼ毎日夜は飲んでいます。

 

はっきり言って、これだけ様々なことを同時進行で進めていくのは極めて大きなプレッシャーのかかることであり、相当な負荷がかかっていることを自覚しています。

 

見ようによっては「マジしんどい!」と思ってしまうのかもしれません(いや、実際に楽ではないですよ(汗)。)。

 

その様な中で人がいかに人格を形成するかということに思いを致すとすれば、やはり一番何に時間を投下しているかということに集約されるのではないかと思います。

 

仕事に一番時間を使う人であれば、仕事を中心に人格が形成されるでしょうし、遊興やギャンブルに一番時間を使う人であれば遊興やギャンブルによって人格が形成されていくものです。

 

人格が形成されるということを換言するとすれば、人生観を持つということになります。

 

人生観を持つということは、そこから目標が発生し、その目標に向かって日々の意思決定がなされていくということを意味するわけです。

 

そのような意味で何に時間を投下するかということは、結果的に自らの意思決定基準を導き出すということに繋がっている訳です。

 

そして、日々の意思決定基準があり、目標に近づいている充足感などによってその日1日の自分の満足度を作っていくという構造になっています。

 

その様な前提があるとすれば、私のようにこれだけ色々なことを同時進行でやっているというのは、体力的、精神的に厳しいものもありますが、一方でその数の分だけ喜びも生じうるということに繋がっています。

 

厳しい事に向かって努力し、それが達成できたということの充足感は何事にも代えがたいものがあります。

 

そのような意味でこれだけ様々なことにチャレンジさせてもらっているという現状は、非常にありがたい状況にあるのではないかと思っております。

 

昨今、世の中はブラック企業と揶揄されるように、多く働くことが悪のように取り扱われていますが、人の人生観やそれに基づく喜びはどこに見出されるかという観点からすると、単に時間が長いことが必ずしも不幸なことであるとは言えないと思います。

 

時間の使い方によって充足感も変わるという観点を持てば、仕事などに長時間の時間を使うことが何もつらいことばかりではなく、喜びを生むものであることも理解できるのではないでしょうか。